2011年4月3日日曜日

原始的な喜び

昨日はGWのイベントに関する打ち合わせだった。
震災の次の週にも同じメンバーで一度打ち合わせしているが、
あまりにも先が見えず、ただ一緒にご飯を食べて終わった。

その時も打ち合わせの日程を変えようか?という提案が
あったが、私は是非行きたい、集まろう、と返事をした。
余震に怯えて家に篭っていることに心底うんざりしていたし、
地震以外の話がしたかったのだ。

その日はメンバーの一人が四谷のおいしいイタリアンを
予約してくれて、打ち合わせ自体は進まなかったものの、
皆でおいしいご飯を囲み、真昼間だというのにワインを
開けて、久しぶりに笑いながら食事をした。




あまりに重たい現実にそれだけで心がすっかり晴れると
言う事はなかったけれど、おいしい食事、明るい笑い声、
お店の素敵なサービスに、心から来て良かったと思った。


昨日の打ち合わせも、メンバーの都合で集合は夜19時半と
遅い時間だった。
私は当然お腹を空かせていった。
自分でも打ち合わせしに行ってるんだかご飯食べに行ってるんだか、
と思わなくはないけれども、私は人とご飯を食べるのが大好きなのだ。

打ち合わせた細かい事をはっきり思い出す事はできなくても、
誰がたくさん食べて、何をおいしいと言ったか、どんな顔で
食べていたか、そんな事ははっきりと思い出せる。
何時間机を囲んで話し合うよりも、一度の食事の方がずっと
共有できるものが多くなると思っている。

ありがたいことに、このメンバーは揃いも揃って健啖家なので、
打ち合わせの場所がどこであろうと必ずおいしいお店にたどり
付けることになっている。
昨日のお店もわざわざ30分もかけて移動した甲斐のある、
味もサービスも最高のお店だった。


震災の次の週、まだ心がざわざわしている時に友人と二人で
飲みに行った。
一人暮らしの彼女を心配して、話相手になってあげよう…という
のは口実で、私も誰かと話をしたかったのだ。
いつもは混んでいてなかなか入れない人気の居酒屋に入ったが、
震災後初めて会ったのもあって、殆ど食事もせずひたすらに
思いつくままあれこれ話をした。
彼女もまたおいしいものに目がない一人だが、この日は珍しく
料理を注文する事も忘れてお互い喋りまくった。
やっぱり、まだどこか余裕がなかったのだと思う。


それに比べて、昨日の食事は純粋に食べる事を楽しめる食事だった。
あんまりおいしくて楽しいので、なんかもうこの先ずっと打ち合わせと
称して集まってはご飯を食べていたいと思ったぐらいだ。

湯気の立つ食べ物を前に、みんなの笑顔が輝く。
いっぱい食べて、飲んで、笑って、これ以上の幸せがあるだろうか、
と本気で思ってしまうぐらいだった。


そして今日、石巻の友達からメールが届いた。
俳優の杉良太郎さんの炊き出しがあったというのだ。
カレー、豚汁、サラダ、杏仁豆腐、どれも食べたいだけ
よそっていいとの事だったそうだ。
この、食べたいだけよそっていいというのは大きいポイントだ。

その食事がどれだけ彼女の心を暖め、周りの人を笑顔にしたかは
想像に難くない。

まず、暖かい食事でお腹いっぱいになること。

一ダンサーとして、日常生活からは得られない喜びを体現して
いきたいと思うのではあるが、でも、今必要とされているのは、
そういったとても原始的な喜びだと思うのだ。

暖かい食事が当たり前に食べられるようになった頃、
私たちの出番がやってくる。

それまでは、暖かい食事のありがたみを噛み締めながら、
日常生活を淡々とこなして力をつけて行こうと思う。

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