2011年4月1日金曜日

原発について

1週間ほど前から、テレビのニュースは殆ど見ないようにしている。
インターネットのニュースも自然と目につくもの以外は読んでいない。
原発に関する知識はないに等しい。
はっきり言って勉強不足だ。
その状態で、原発について今思うことを書いてみる。
ほぼ憶測だけでものを言ってみる。




テレビはあまり見ないようにしていると書いたが、
先日、NHKのBSで再放送されていた「ハゲタカ」というドラマを
6時間ぶっ続けで見てしまった。

2000年頃の日本の経済界を舞台に、目的の為なら手段を選ばない
アメリカ帰りのファンドマネージャーと、銀行と債権者の板挟みに
なりながらも銀行を守るために最善を尽くそうとする銀行マンが、
それぞれの知力・度胸・信念をぶつけ合い、手に汗握る攻防戦の末、
それぞれが生きる目的を見つめ直し、やがて和解し、ともに新しい
経済、会社のあり方を問い直していくという素晴らしいドラマだった。
感情に訴えるものもあったけど、人間としてどう生きるかという
問いに、最後まで「経済」を通じて答えて行こうとするのが良かった。


これを見て経済にうとい私にも理解できたのは、
資本主義社会では、誰かの利益を追求していく事は、
誰かの不利益に繋がっているということだ。


「お金を稼ぐことが悪い事ですか」と言った村上ファンドの人の言葉に
なんとなく居心地の悪い思いがするのは、彼が利益を追求する裏では、
必ず誰かが泣いているような場面を想像してしまうからかもしれない。

「お金を稼ぐのが悪い事か」
何故お金を稼ぐのか、稼いだお金をどうするのか、という事を無視して、
単純にいい/悪いに分ける事はできないが、日本ではお金を稼ぐ事を
おおっぴらに口にすることは、品がないと思われる風潮がある。
村上さんの言葉を居心地悪く感じる私もそういう日本人の一人だ。
きれいごとを言えば、稼いだ利益は社会に還元して欲しい。

でも、この国はばりばりの資本主義社会だ。
表立ってそう言っているかどうかは別として、
利益をあげる事を第一優先にしている会社は多いと思う。

大事なのはそれをどう使うかだが、生み出した利益は、
更に大きな利益を生む為に投資されていくのだと思う。

色々な社会貢献活動をしている企業も多いが、それがそのまま
企業のイメージアップ=利益に繋がっていないだろうか。
本当に貢献するだけなら、企業の名前を出す必要さえないのだ。
ほんとは。

そうやって利益を追求し、規模を広げ続けて身の丈に合わなくなり、
失敗した企業はたくさんある。私に分かるとこだとNOVAとか。


賢い経営者なら、企業の適切な規模を見極めるだろう。
企業が船、動かすのが船頭だとする。
手漕ぎの小舟なら船頭一人でもいいけど、豪華客船になれば
乗組員は何千人だ。船長の意思がどこまで届くか定かではないし、
船長が判断を誤った場合の被害も大きい。

そして、規模が大きくなれば「俺の船」なんて簡単に言えなくなる。
スティーブ・ジョブスがアップルを創り、大きくし、
経営のプロを雇い入れたところ、経営上の判断から解雇された。
「私は私が作った会社にクビにされた」というのは有名な話。
ある程度以上の大きさに育った会社は、もう誰かの一存なんかでは
動かない、生き物のようなものだと思うのだ。

そして、莫大な利益は権力につながる。


やっとここで原発の話。

東京電力は何の会社か。電気を売る会社だ。
日本の電力の需要は、ずっと右肩上がりに上がり続けた。
売る側として、こんなに簡単な商売はないと思う。
ほっといても需要は勝手に伸びていくのだ。
欲しがる人が増えるなら、それだけたくさん作るだろう。
作れば作るだけ売れるのだ。
東京電力はもう、誰のものでもない。
利益を生み続けるモンスターみたいなものだ。

だけど、この国には資源がない。
これは大問題だ。
一社独占だから、ないなら他所から買ってくれ。とも言えない。
ここで勝手に思うのだが、何故電気が一社独占か。
そりゃ簡単、儲かるからだ。
その莫大な利益はイコール権力だ。
そう簡単に分割されてはならないのだ。
誰にとって?
多分、政府にとって。
一社独占で利益を追求したために、安全な技術を競う事もなかった。


それでも、増え続ける需要には応えなくてはならない。
それに最も効率よく応えられるのが、原子力だったのだと思う。

ここまで書いて、断定してしまう。

今起きている事は、資本主義社会が行き着く当然の帰結だったと
思えてならない。
東電が利益を追求した結果、多くの人が不利益を被ったとも言えるが、
日本全体が利益を追求した結果、自分で不利益を被ったとも言える。
元々資源のない日本が、ないものねだりをしたのだ。
経済力にものを言わせて。

ねだったのは誰?
政府ではない。
私たち一人一人だ。

もっと便利に、もっと快適に、しかも、今すぐに!と
求め続けた結果がこれなのだ、と思う。

東電のせい、政府のせいにするのは簡単だ。
でも、誰かのせいにしたって、福島を元に戻すことはもうできないのだ。

ついでに、生まれも育ちも東京で、今までこの便利な生活を無自覚に
享受してきた私は、少しぐらいの放射能から逃げようだなんて不遜だと思っている。



原発をなくす事は簡単ではない。
ものすごく時間がかかる。
代わりのものを開発するにも時間がかかる。

だったら、電気を使う量を減らせばいいという意見を聞く。

それはすごい簡単な話で、電気料金を今の3倍ぐらいにしたらいいと思う。
それだとうちは真夏なら10万円近くなる。
エアコンなんか絶対つけないし、洋服だって手洗いするよ。
そしたらすぐに計画停電なんか必要なくなる。
日本にとってエネルギーってそれ程貴重なものなんだと思う。
高いお金を払うのが嫌なら、太陽光とかどんどん取り入れて。
もちろん政府の補助金が必要だけれど。


でも、多分、世界一清潔で快適で便利な国に住む私達には、
それは今すぐは難しい話だと思うのだ。
生活水準を下げる、というのは簡単ではない。

一昨年、インドネシアに行った時にそれを思い知った。

繁華街でも夜は暗く、道も舗装されていない所が多く、
トイレは横のバケツから手桶で水を汲んで流すものが殆ど。
それでも、インドネシアがこの先日本が辿った道に近い形で
発展していくだろうことは予感できた。
多分、数十年前の日本もこんな感じだっただろうと思う。

一緒に行ったダンサーは腸チフスにかかり、長期入院した。
浄水を飲んで育った日本人は、インドネシアでは水も飲めない。
ガイドブックによく書いてある事だが、これってとんでもない
のではないだろうか。
生きていくのに絶対必要な水、私たちは誰かがどこかで
浄水してくれたものでなければ飲めない体なのだ。

同じように、電気、ガス、電話が当たり前に使える生活を
そんな簡単に手放せるものではない。
うちなんてオール電化だ。
電気がなければ暖を取る事もできないし、料理もできない。
火の起こし方も知らないもの。

この日本の社会は、もうとっくに今のエネルギー供給量がなければ
立ちゆかないところをベースにして出来上がってしまっているのだ。
歪んでいると思う。
とても脆いと思う。
この歪みを正す事なんて、もはや誰にもできないと思う。
事は、原発賛成/反対なんていう簡単なものじゃないのだ。
日本だけの問題でもない。

大きい事言っちゃうけど、これが人類が歩んで来た道なのだ。
今更別の道なんか選べない。


私は、原発そのものに賛成でも反対でもない。
原子力の正しい利用ができるのかどうか、そういう判断は
専門家にまかせたい。
そして、その判断を正しく反映させる政治であって欲しいと願う。

だから、このどうしようもない大問題に対して自分にできる事は、
今のところ一つしか思いつかない。
選挙に行くことだ。
政治に参加するのだ。
少なくとも、ドイツは脱原発に向けて歩んでいる。
日本だって同じ道を歩めるかもしれない。
こんな脆い社会はいやだ、と本気で思う人が増えれば、
もっと確実な方向に進んでいけるかもしれない。

そして、もう一つ自分にもできるかも知れないと思うことがある。
子供を産むことだ。
そして、ちゃんと自分で考え、選挙に行く人間に育てる。
「原発なんかいらない」って、誰の前でもはっきり言える子に育てる。
ついでに火の起こし方と夜露の集め方と釣りも教える。



それが、私が原発について今思うことだ。

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