2013年2月1日金曜日

ほんとうのこととおいしいもの

会田誠展「天才でごめんなさい」を見てほんとにスカッとした。
一つ一つの作品はそんなに好きでないものもあるけれど、展覧会全体を通して見て、ほんとにスカッとした。
自分では絶対にやれない事をこんなに大規模に真っ正直にやってる人がいる。愉快きわまりなかった。


ドキュメンタリー映画「駄作の中にだけ俺がいる」を見てさらにスカッとした。

映画のコピーにもなってるけど、
「美術とは、見られることで得られる快楽を刺激するサービス業」
と、さらっと言ってのける。

あと、映像作品の撮影をしながら
「もう少し騒がしくしたほうがコンセプチュアルアートっぽいかなぁ…」
と、カメラの前でも平気でつぶやいちゃうところも笑った。素直すぎる。
(あっ、でもほんとにほんとのラスト10秒はいただけません。)




まことクラヴ内部では、もうずっと前から自分たちのことを「サービス業」だと思っていたし、実際そう言い合っていた。
特に街なかで何かやる時は、カメラ向けられたら必ずポーズ決めるし、見てる人がいる限りやめられない。
正直疲れたし早く終わりにしたいと内心思っていても、
「あたしらサービス業だしね」
と思って一生懸命サービスしている。

でも、公の場で「私達サービス業ですし」と言ったことはないと思う。
ただでさえふざけた軽い奴らだと思われがちなのに、これ以上軽く見られたらたまらんのです。

一口にサービスと言ってもファーストフード的サービスから料亭的サービスまで色々あって、その言葉を聞いた人がどう受け取るかわからないのでよう言いません。

街なかで何かやるのなんてすぐできる事だと思う人もいるようで、ものすごいタイトなスケジュールを提示してきて、「なんかやって下さい」みたいなざっくりとしたオファーがたまに来るんですが、そういうのは断ってます。
私ら(というより部長が)ものっすごいリハーサルしないとできないんですもの。
そういう機動性も持てたらいいなとは思いますけど。




そこを、さらっと言えてしまう会田誠をかっこいいなぁと思う。
何故さらっと言えるかと言ったら、それが彼にとって「ほんとうのこと」だからなのでしょう。


会田誠の展覧会をめぐる議論を少し読んだけど、正直無駄だなぁと思います。どこまで行ったって平行線に決まってます。作品を作る事もそれを見ることも、とてもプライベートな事であって、そこで感じた事なんて到底他人とシェアできないのです。

現代アートはそういう議論も含めてアートなのだ、という意見もわからなくはないです。最たるものはデュシャンの「泉」でしょうか。

でも、会田誠の作品はそうじゃないと私は思う。
「泉」的作品もあるけど、大多数の作品はものすごく「作ること」に誠実に作られた作品だと思う。


ドキュメンタリーを見ていて、ふと思い出した。
太宰治の「如是我聞」。
これは私の原点と言ってもいいもので、折につけ読み返すのです。
自殺直前に書かれたものなので、全体的にはやけくそというか罵詈雑言と恨みつらみが山盛りでとても読みにくいのだけど、その中に「ほんとうのこと」が書かれている気がするのです。

うまく要約できないので、転載します。

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 人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。
 ためになる。
 それが何だ。おいしいものを、所謂「ために」ならなくても、味わなければ、何処に私たちの生きている証拠があるのだろう。おいしいものは、味わなければいけない。味うべきである。

(中略)

 文学に於て、最も大事なものは、「心づくし」というものである。「心づくし」といっても君たちにはわからないかも知れぬ。しかし、「親切」といってしまえば、身もふたも無い。心趣こころばえ。心意気。心遣い。そう言っても、まだぴったりしない。つまり、「心づくし」なのである。作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、或いは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う。
 料理は、おなかに一杯になればいいというものでは無いということは、先月も言ったように思うけれども、さらに、料理の本当のうれしさは、多量少量にあるのでは勿論もちろんなく、また、うまい、まずいにあるものでさえ無いのである。料理人の「心づくし」それが、うれしいのである。心のこもった料理、思い当るだろう。おいしいだろう。それだけでいいのである。

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会田誠の作品に、私は「心づくし」を感じたのです。
それも、今まで見たことがないようなレベルでの心づくしでした。
圧倒的な画力、発想力、自由度、会田誠の作品を支える要素は色々あるでしょうが、私はこの「作ることに対して人はここまで心をつくせる」というところにほとんど打ちのめされたに近い感じで感動したのです。

それが嬉しかった。
太宰の言葉を借りるなら「おいしかった」のです。


私は太宰や会田誠のようには「ほんとうのこと」をなかなか口にできない。
でもせめて、思ってもいないことは口にしないぐらいの矜持は持っていたい。
そして、「おいしい」と思えるもの。
そんなものを目指したいなと思うのです。

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