2011年3月30日水曜日

点と点

今日、震災前から企画していたダンスのイベントについて改めて打ち合わせをした。
友人のダンサー、たかぎまゆちゃんからのお誘いで、一緒に大人のディスコイベントを始める事にしたのだ。

一回目の打ち合わせは、3月10日。
お互いのダンスに対するスタンスとか、何を楽しいと思うかとか、
他に色々の大事な事やどうでもいい事、たくさん話して別れた。
楽しい事が始まる!とわくわくしながら帰った。

そして次の日に地震があり、それからの数日間は思考はすれど行動は全くの
フリーズ状態、イベントの事も頭にはあっても何もできなかった。

始めのショックが去った頃にまゆちゃんからメールが来て、
チャリティーイベントにしようと思う、と言われた。
何かほんのりと違和感はあったもののその出所がわからず、
そうしましょう、と返事をした。


行動の早いまゆちゃんからはすぐにチャリティーを看板にした
イベントの新しい企画書が届いた。
今、ダンスにできること。
その企画書を何回も読んで、最初に感じた違和感をたどった。

お客さんに入場料をもらい、その対価として質のよいパフォーマンスを提供する。
その入場料を主催者の判断で募金にする。それは良いと思う。

だけど、これがあちこちで行われるようになるのはあまり歓迎できない。
ただでさえ公演やイベントは軒並み中止、計画停電のために夜間の
レッスンも中止、ダンスでできる仕事が目に見えて減っているのだ。
節電しながら劇場やイベント会場を動かすのも簡単ではない。

この先ダンサーやミュージシャンが公演やイベントに出ても、
手元には何も残らないという事が続くと、元々細々と活動している
パフォーマー達はすぐに生活が立ちゆかなくなってしまう。
自分の生活を犠牲にしてチャリティーに参加し続けるというのは、
モチベーションを保つのも難しい。

とはいえ、私を含め多くのダンサーは哀しいかな別の仕事を
掛け持ちしている事が殆どだし、家でじっとしているよりは
人前で何かをしている方が元気が出るという人もいると思う。
それに、ダンサーなんて人種は元々たくましいので、
それはそんなに心配する事ではないかもしれない。



私が一番引っかかったのは「今ダンスにできること」という言葉だ。
企画書にはそのものズバリが書いてあった訳ではないけど、
そういう趣旨の仮タイトルがついていた。
他にも、「今自分にできること」「◯◯の力」というフレーズ、
最近よく耳にする。

私はダンスの力を信じている。
でもそれは、今だろうが過去だろうが未来だろうが、
平和だろうが未曽有の危機だろうが変わらないと思うのだ。

別のとあるイベントについて打ち合わせしている時も、
パフォーマンスの中に何か復興をイメージさせるものを
入れられるか?と聞かれた。
「頑張れニッポン」と書いたハチマキを巻くとかなら…
という情けない返答をしてしまったが、本当にそのぐらいしか
思いつかなかったのだ。


ダンスというのは言葉がない分、伝わり方が人それぞれだ。
もう、てんで伝わらない事もあるし、はなから何かを伝えようなんて
思っていない事もある。

普段インプロで踊る機会がよくあるが、例えばある一つの単語を選んで
それを元に踊ったとして、傍から見るとぜんっぜんそう見えない事も
よくあるし、やる人によって全く変わってくる。
大事なのは本人の中にどれだけ確信があるかだ。それが強さになる。
その一人一人の出し方、受け方の違いが面白さだと思っているのに、
見た人が皆同じイメージを持つような踊りをするなんて、
はっきり言って不可能だ。

それに、ライブであれば、見せるのは目の前のお客さんだ。
その人たちには、楽しさであれショックであれ、とにかく何かを
持って帰って欲しいと思う。
それが明日の活力につながるものでも、10年後にふと思い出す
ようなものでもいいのだ。
願わくば、ほんの少しポジティブな気持ちになれるといい。
ダンスの持つ力というのは、その程度だとも言えるし、
ある人にとっては一生を変えてしまうような体験になる事もある。
それは、こちらの選べる事ではない。
私たちは、ただその力があると信じてやるだけだ。
それは、地震の前もあとも変わらない。



…というような事を二日ばかり考え続け、まゆちゃんには
「やっぱり最初の企画通り、大人のディスコ路線で行こう」
とメールした。理由も添えて。

すると、まゆちゃんからもすぐに返事が来て、
「納得!私もそのほうがいいと思う!」と言う事で、
またものすごいスピードで、新しい企画書が送られてきた。
それはそれはまゆちゃんらしくて、読んでてくすくす笑ってしまう
ような明るく楽しいものだった。

そして今日、改めて打ち合わせをして、色々決めてきた。
チャリティーではない。
あくまでも「大人のための楽しいディスコ」だ。
でも、募金も集めるし、ダンサーにもお金が行くようにしたい。
欲張りだけどやってみたい。


ことダンスに関して、自分の思う事は曲げたくない。
そう思う一方で、宮城の友人のために何ができるのかと考える。
今のところこの二つはまだ繋がっていない。
でも、いつかこの点どうしが繋がると信じている。
それは、半年後かもしれないし、5年後かもしれない。
本当の復興には軽く5年や10年かかるでしょう。
原発の事まで考えたら50年、100年単位。
今も10年後も、一つ一つ、ここと思うところに点を打つのみだ。

2 件のコメント:

  1. 長井さん、こんにちは。
    あいちトリエンナーレでまことクラヴのパフォーマンスに遭遇し(長者町には行けなかったけど、芸文センターでぶつかりました)、以来長井さんたち部員さんのことばを追っています。
    私は直接被害に遭った者ではありませんが、だからこそ、震災「について」話したり行動したりするだけでなく、震災があってもなくても大事なはずのこと(節電、自分の周りに居る人に心を寄せることなど)と自分は普段どう向き合ってきたのか、ないがしろにしてはいなかったかを、考えなければならない、それを欠いた行動(募金であれ何であれ)は片手落ちだ、そう思わされることが最近ありました。
    地震そのものは人間によるものではないけれど、地震によって生じたり明るみに出たりする多くの問題は、むしろ今「無事」で「手すき」の人間こそが、自分の問題として考えなければ、と思います。
    だからというのも変かもしれないけど、長井さんの日記を今読めて、背筋が伸びる(常套句ですみません)思いです。

    ディスコ、盛り上がるといいですね!!
    まことクラヴのパフォーマンスは、少ししか見たことがないけれど、めちゃくちゃに格好良かったので、今度はたっぷり見たいです。

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  2. コメントありがとうございます。
    私自身も、この地震で表面がはげ落ちて色んな思いや醜いところが明るみに出ている気がします。見たくない事もあるけれど、見なきゃいけないと思っています。

    あいち、また行きたいです。
    無事で手すきな方々にどんどん盛り上がって頂く事で、関東以北のアーティストが活躍できる場ができると思います。
    どうぞ自粛などせず、劇場に、美術館に、映画館に、足を運んでくださいませ。

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