2011年3月28日月曜日

何かではある

「どうして踊り続けてるんですか?」と、先日もあるアーティストの人に聞かれた。
そう聞かれると、たいてい「やめる理由がないからです」と答える。

これは間違いじゃないけど、全てでもない。

どうして踊るのか、自分でも時々考えるけど、はっきりした答えはない。
でも、答えの片鱗のようなものをくれた友達がいる。
私は、栗、と呼んでる。




栗は、超面白い。
メール一つとっても言葉選びがうまいし、
ユーモアのセンスは知り合いの中でも郡を抜いている。

栗は、宮城の石巻に住んでる。
自宅は幸い床下浸水で済んだ。
今はそこに家を流されてしまった親戚とともに生活している。

おとといやっと、震災後初めて栗からメールが来た。
そこには、
「超生きてるよー!
メールしたいけどドコモだけ圏外でできないのー。
ドコモまじうんこー。
亀も猫も元気ー。」
というような事が書かれていた。

別の友人に来たメールには、
「情報ないから津波きたとこどんなだか知らなかったんだけどー。
今日初めて見に行ったら、田んぼに車ワサワサ刺さってたよ。」
と書いてあったそうな。

確実に死を意識しただろう体験から、電気も水も通っていない状態で2週間。
知り合いに亡くなった人もいるだろう。
その状態でいつもと変わらない軽い言葉を選べる栗は、
今までもたくさん辛い思いをくぐり抜けて来たんだと思う。


彼女は自分で歩けない。
普段は車椅子で生活している。
私のダンスを見たいと前から言っていたので、何度かDVDを送ったら
とても喜んでくれた。
一昨年の夏に石巻まで遊びに行った時、私は栗に踊りを生で見せたくて、
栗の家のリビングで踊った。
ソファに座ったまま踊れるソロを、その年の春に一曲作ったのだ。
自分のダンスを、頼まれもしないのに見てくれなんて言ったのは
その時が初めてだ。
お客さんは栗と栗の夫の二人。
1メートル先でじっと見てる。
踊り終わったら、栗が泣いて「ありがとう」と言った。

この時、私が下手くそながらも15年以上続けてきたダンスが
「何か」になったと思った。
この「何か」がある限り、そう簡単に踊りをやめる事はないだろうと思った。


その時踊ったのは、スローバラード。
野和田恵里花さんの命日に、何か踊ってと言われて作ったもの。
そう言われた時、毎日これしか聞いていなかったから、ほぼ一日でできた。
私はあまり膝がよくないので、いつか立てなくなっても踊れるようにと、
座ったままにした。
いつまでも何回でもこれを踊ろうと思っている。
http://youtu.be/QsTvOmzT1Us




まだ栗とは頻繁に連絡をとれるような段階ではない。
けれども、暖かくなって、少し肌寒くなる頃には、
もう一度石巻に行って栗の家で踊ろうと思う。

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