そう聞かれると、たいてい「やめる理由がないからです」と答える。
これは間違いじゃないけど、全てでもない。
どうして踊るのか、自分でも時々考えるけど、はっきりした答えはない。
でも、答えの片鱗のようなものをくれた友達がいる。
私は、栗、と呼んでる。
栗は、超面白い。
メール一つとっても言葉選びがうまいし、
ユーモアのセンスは知り合いの中でも郡を抜いている。
栗は、宮城の石巻に住んでる。
自宅は幸い床下浸水で済んだ。
今はそこに家を流されてしまった親戚とともに生活している。
おとといやっと、震災後初めて栗からメールが来た。
そこには、
「超生きてるよー!
メールしたいけどドコモだけ圏外でできないのー。
ドコモまじうんこー。
亀も猫も元気ー。」
というような事が書かれていた。
別の友人に来たメールには、
「情報ないから津波きたとこどんなだか知らなかったんだけどー。
今日初めて見に行ったら、田んぼに車ワサワサ刺さってたよ。」
と書いてあったそうな。
確実に死を意識しただろう体験から、電気も水も通っていない状態で2週間。
知り合いに亡くなった人もいるだろう。
その状態でいつもと変わらない軽い言葉を選べる栗は、
今までもたくさん辛い思いをくぐり抜けて来たんだと思う。
彼女は自分で歩けない。
普段は車椅子で生活している。
私のダンスを見たいと前から言っていたので、何度かDVDを送ったら
とても喜んでくれた。
一昨年の夏に石巻まで遊びに行った時、私は栗に踊りを生で見せたくて、
栗の家のリビングで踊った。
ソファに座ったまま踊れるソロを、その年の春に一曲作ったのだ。
自分のダンスを、頼まれもしないのに見てくれなんて言ったのは
その時が初めてだ。
お客さんは栗と栗の夫の二人。
1メートル先でじっと見てる。
踊り終わったら、栗が泣いて「ありがとう」と言った。
この時、私が下手くそながらも15年以上続けてきたダンスが
「何か」になったと思った。
この「何か」がある限り、そう簡単に踊りをやめる事はないだろうと思った。
その時踊ったのは、スローバラード。
野和田恵里花さんの命日に、何か踊ってと言われて作ったもの。
そう言われた時、毎日これしか聞いていなかったから、ほぼ一日でできた。
私はあまり膝がよくないので、いつか立てなくなっても踊れるようにと、
座ったままにした。
いつまでも何回でもこれを踊ろうと思っている。
http://youtu.be/QsTvOmzT1Us
まだ栗とは頻繁に連絡をとれるような段階ではない。
けれども、暖かくなって、少し肌寒くなる頃には、
もう一度石巻に行って栗の家で踊ろうと思う。
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