2012年1月7日土曜日

新年のごあいさつ と 石巻について

明けましておめでとうございます。
とか言ってる間にもう新年明けて1週間が経とうとしていますが、
よい年にしたい、というよりもよい年になりますように、
と願うような気持ちであります。

2011年は、どれだけ自分が人に助けられているのかを
痛感するような年でした。
10年以上の付き合いの人から、知り合ったばかりの人、
電車で隣あっただけの人まで、等しく大切にしていきたいと思います。
皆様今年もどうぞよろしくお願いいたします。


さて、2011年にやり残した事は色々ありますが、そのうちの一つ。
昨日今日と、石巻の友人を訪ねてきました。
自分でも遅いと思いますが、震災後初めて被災地に行きました。





東北道を降りて石巻に近づくにつれてどんな光景が目に入るのかと緊張しましたが、最初の素直な感想は、「もうこんなにきれいになった」でした。
テレビやインターネットで散々見て来た瓦礫の山はほぼ片付けられ、道も修繕されて、友人の家まですんなりたどり着けました。
10ヶ月の間にどれほどの苦労と努力があったのかと思うと、地元の方、ボランティアで働いた方々に頭が下がるばかりです。

反面、時々現れる
高さ4m程のところにある折れ曲がったままの看板だったり、
一階部分が壊滅状態のまま放置された新しい建物だったり、
民家の間に突如現れる仮設住宅だったりに、
ぐっと胸をつかまれる思いでした。
今はきれいに見えるけれど、ここにも津波が押しよせた事は明らかでした。

今回石巻を訪ねたのは、友人が
「瓦礫の山も、津波の跡も、ある意味今ここでしか見られないものだから。
美味しいものも色々あるし、観光しにおいで。
募金してもらうより、こっちでお金使ってもらうほうがいい」
と言ってくれたからでした。

不謹慎と言われるかも知れませんが、私もやっぱり自分の目で見てみたいと思っていたので、ボランティア活動をするでもなく、今回は石巻周辺を少しだけ見て回ってきました。

友人がまず連れて行ってくれたのは、椅子から飛び上がる程おいしいお寿司屋さん。
お店もたくさんある賑やかな通りにあるお店で、予約しないと入れない程でした。
東京に比べたら半分ぐらいの値段で、霜降り牛かとみまごうような大トロ、あわび、ウニ、イクラ、ミル貝、ボタンエビ…
これはもう「ギャーッ!」です。







次の日は午前中から女川に行きました。
友人の家が海から近いにも関わらず地形のおかげでほぼ無傷だったのと対照的に、地形のせいで街ごとなくなった辺りです。
女川に向かう途中の交差点に、右方向には「女川駅」と書かれていて、その看板はまだ新しいのに、右に曲がると何もないのです。駅舎も線路もどこにあったのか全くわからないほど、何もありませんでした。
小高い丘の上にある女川町立病院から向かいの山を眺めると、どこまで津波が来たのかはっきり分かりました。同じくらいの高さ、多分約20mぐらいのところに線でも引いてあるように、そこから上には家があり、そこから下には何もありませんでした。
あるのは、造りが頑丈だったのであろう「マリンパル女川」という建物と、その横にまるで積み木のようにそっくりそのまま倒れたビルだけです。
そのビルだけは、津波の被害の大きさを忘れないために、そのまま残すという話が出ているそうです。

ちなみに、今回カメラを持って行きましたが、傷跡の写真は一切撮りませんでした。
それより、女川の港から眺める海と山の美しさを覚えておきたいと思いました。
震災の前はどれだけ美しい場所だったのか、十分想像できる眺めでした。
そして、ここがどうやってまた人が集まる港になって行くのか、この先もまた見に来たいと思いました。


女川を離れて石巻に戻る途中に、「おさかな市場」という海産物を売る道の駅のような場所があり、寄って見ると「マリンパル女川」にお店を出していた人達が、仮の場所で商いを再開しているのでした。
10軒程の商店が、生の魚介類から、乾物、加工品、さらにはホタテ丼!や名物のホヤマドレーヌ!!とコーヒーを出したりしていました。
私が気に入ったのは、入り口横にあるマルキチ阿部商店!
小女子(こうなご)の佃煮、サンマの佃煮、サンマの昆布巻きなど、もうじゃんじゃん試食させてくれるのです。
売っているおばちゃんが、「あたしが作ってるんだもの、味は保証するよ!」と。
「やっと作れるようになったのよ。それはもう一生懸命作ったんだから、おいしいに決まってるよ」と。

美味しくなくたって買うつもりでしたが、食べてみたらどれもうんまい!特にサンマの昆布巻き「リアスの詩」がうんまい!
友人の旦那さんは魚介類を扱う仕事をしているので味や鮮度にはかなり厳しいのですが、その人をして「おっ」と低く呟かせたほどでした。
今調べてみたらネットでも買えます。
http://kobumaki.jp/
こぶまき じぇいぴー です。やっぱり昆布巻き押しなのね。


お昼は地元の人しか知らないであろう山の中のレストランで、
「磯らーめん」(ギャー!)
「ほたて丼 卵とじ」(ギャーー!)
です。


午後は、石巻に実家のあるダンサーの桜井ことのちゃんと合流して、復興商店街を見てきました。
石巻駅近くの商店街は、閉じたままの店、きれいにして開けた店、リニューアルして別の業種になった店と色々でしたが、空き地に仮設のお店を建てている一角があったので、そこを覗いてきました。



パン屋さん、お菓子屋さん、アメカジのお店、茶巾寿司のお店、バー、帆布の鞄屋さん、などなど…。どれも小さなお店ですが、狭いスペースに色んなお店が集まっているのは楽しかったです。もんのすごい寒いのであまり歩かないで済むのも良いし。
ことのちゃんのお勧めは茶巾だったのですが、残念ながら売り切れていて買えませんでした。名物おじさんが売っているらしいので、次回は是非!

帆布屋さんでかわいいポーチとパン屋さんでお菓子を色々買いましたが、どちらもおまけの嵐!ポーチは1200円だったのに、何故か定価10,290円の空気清浄機、パン屋さんではパン3つにお菓子色々、その上少しまけてくれました。
その後りんごを買った八百屋さんでも同じ空気清浄機をくれようとしたので、(りんごは450円)さすがにお断りしてしまいました。

女川のマルキチさんもいくらかおまけしてくれたのですが、その時「東京から来てくれたんだもの。ありがとうね」と言ってくれました。帆布屋さん、パン屋さんにもそういう気持ちがあったかも知れません。
でもあの清浄機は救援物資だったのではないかと思います。
何故なら、その前に友人宅でも色々もらって来たからです。
H&Mのカットソー、Tシャツ、マフラー、乾パン(ソフトでおいしいタイプ)、ウイダーインゼリー一箱、全て新品です。
東京から来た私たちが被災地にて救援物資をもらうとは!?とはじめは固辞しましたが、本当にいらないんだと言うのです。
最初はもちろんとても助かったそうですが、ある程度落ち着いてきたら、サイズが合わなかったり、好みに合わなかったり、同じものがいくつもあったり、いくら新品でもこれ以上いらない、という状態になったそうです。
かと言ってくれると言うものを「いりません」と言うことも、必要のないものを「返す」という事も悪くてできず、仕方なく溜め込んでは外から来た人にあげているという事でした。
かくして、行きよりも帰りのほうが断然荷物が多い、という状態で帰ってきました。

私たちもお土産を色々持って行ったのですが、悩んだ末に少しのお酒と食べ物に、フェイクファーのマフラーやニットの帽子や派手目のパンツなど、装飾品にしました。少なくとも一人一人の顔を思い浮かべながら選びましたが、それらも好みに合わなければまた箪笥のこやしになるだけです。
選ぶ時に「被災地だから」という事はやっぱり考えました。
ジャスコもイオンもあるんだから、生活必需品は必要ない。だったら、ちょっと潤いになるようなもの、お誕生日プレゼントみたいなもの、と思って装飾品にしましたが、行ってみて石巻に足りないものは「仕事」に尽きると思いました。
ものはあるし、住むところもある。
(でも仮設住宅は見るからに寒そうです。もっとしっかりした建材を使うことはできなかったのか?と素人考えでは思ってしまいます。石巻の冬は厳しいです)
足りないものがあれば買うこともできるし、ある程度は支援してもらう事もできる。
でも、人として生活するためには、やはり社会の中で誰かに必要とされながら働き、そのお金で自立する事が絶対に必要なのです。
仕事ができないお年寄りなども、外からの支援で生活するより地元のコミュニティの中で助け合いながら生きて行くほうがより自然です。

そんな事は私が力説するまでもなく、誰もが分かっている事かも知れませんが、石巻に行く前の私はデパートの帽子売り場でうんうん唸るぐらいにしか分かっていなかったのです。
かと言って、次行く時には「仕事」をお土産にできるのか?と言われればもちろんできません。
今私にできる事は、また石巻に行って、美味しいものを食べて買って、地元の人と話をするぐらいしか思い浮かびません。
それは、支援というよりやっぱり観光です。
でも、それでいいじゃんとも思います。だって楽しかったんだもの。
傷跡を見ることも大事でしたが、それよりもそこで生活する人達が立ち上がろうとする様を見るのは、嬉しくて楽しい事でした。人間って強いぜー、と思わずにいられません。
桜井ことのちゃんのお家にも寄らせて頂いて、ご両親から色々話を聞いたのですが、内容は悲惨なものでした。それでも人と会って話す事はやっぱり楽しいです。

色々怖くてなかなか足を踏み入れられなかった石巻ですが、もう躊躇する事なく遊びに行けると分かった事はとても大きかったです。
車だと往復14時間、今なら高速も無料化地帯があるので1万円弱+ガソリン代。
やっぱり遠いのでそうちょくちょくは行けないですが、東京から来たと言えばウェルカムしてくれる人も多いし、観光地としてもお勧めです。
真冬は厳しいけど、普通のタイヤで行ける時期になったらまた行きたいと思います。
一緒に行きたい人いたら、いつでも声掛けて下さいな。

1 件のコメント:

  1. ジャッキー2012年1月7日 21:59

    ジャッキーです。お久しぶり!あ、“あけおめ”ですね。
    久々に覗きに来たら、初コメントのようですね。幸先良さそう。(笑)
    いい旅をして来ましたね。
    傷跡の写真はいっさい撮らなかった気持ち、わかる気がしました。カメラを構えると、事実をありのままに撮ると言いながらも、無意識に無残に朽ちた場所とかを探してしまいますよね。「もっとないか」そんな自分に気づいたとき、次にやって来るものは・・・。
    美味しいものをいただいて、自然体で「おいしい!」または「ギャー!」と言って帰る。現地の人へのいちばんのお土産だと思いました。

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